小学生の頃の夢を書いた作文が残っている。
ぼくは、将来みんなに喜ばれるような物を発明し、世の中に役立つ人間になりたいと思います。

高校の時の一番の思い出は、コカコーラの自動販売機を作ったこと。文化祭の校庭にポツンと置いた自動販売機の中に一人入って、入金を確認し→紙コップを置き→氷を入れて→コーラを注ぐ。長い長い列を自動販売機の隙間から見て、悦に入ったのを覚えている。

大学の時、大阪日本橋電気街のパーツ店で、蛍光表示管のデジタル時計のキットが売られていた。集積回路(IC)は、テキサスインスツルメンツ社製で、大阪の会社がキットにして販売していた。これを深緑色のサントリー・オールドの瓶に仕込んで、ボトル時計として販売した。120台が売れた。
<ボトルの時計.jpg> 現物か写真を捜索中←組み立て前の部品がありました!

大学時代のアルバイトは、Hi-OVIS(通商産業省の未来志向の事業実験)の双方向ケーブルTV局だった。元々好きだったTVが、アルバイトで加速して、何の疑いもなく、大学卒業と同時に放送関係の技術プロダクションに就職した。
爆破スタントの車にも同乗したし、サーカスの空中ブランコの一番上まで登りもした。夏は日焼けで真っ黒にもなったし、巨大冷凍庫の中にも入った。
関西ローカルには度々、全国ネットにも1度だけ出演した。貴重な経験をいっぱいしたが、その頃、ようやく世に出だしたPCを会社で買ってもらえることになり、大きくOA(Office Automation)分野の内勤仕事にシフトすることになった。
数年後、Macintoshを放送でも使うようになり、CG課発足と同時に異動し、間もなく関連会社に移籍、しばらくクイズ番組のCGに関わり、アニメ、データ放送の立ち上げに関わる。その頃、TV募金システム「ちょぼきん」を考案し、2006年に特許出願。その後、データ放送は親会社100%の子会社になり独立。私は元の会社で総務に異動。2011年特許取得。「ちょぼきん」の夢を諦めきれず、何度か企画書にして応募したが通らず、引きずったまま定年を迎える。
定年後再雇用期間中に、サラリーマン生活が有限であることを、ようやく我が事として理解する。そして、これまでの生活が、サラリーマン専用の時計と物差しで計り、線引きし、判断してきたことを、今更ながら恐ろしく思った。
63歳(2020年11月)から年金の一部が65歳に先行して支給される。11万円ほどだ。
大胆にも不足分をブログで補おうというのだから、半分、呆れる。
そしてあと半分、考え方が自由でいいじゃないか。とまた、呆れる。
これが、今の私です。(2020.8)
では、何を書く。
ひとつは、手帳やiPhoneに書き残した言葉たちをまとめておきたい。だから昔のエピソードも登場します。
もうひとつは、困った時にいつもGoogleに助けてもらってばかりだから、誰かが困った時に「検索」したら自分の記事がヒットして、問題解決!参考になりました!とお役に立ちたい。
そんなこんなで、ブログを始めました。
最後に、謝辞として、家族でブログを始めよう!って背中を押してくれた息子に感謝です。議論好きで正論派なので、こちらは、かなりエネルギーを消耗しますが、明らかに新人類(死語ですね)です。親として悩みの種でもありますが、もっと同世代と切磋琢磨して世の中に出て行って欲しいと願っています。