
私には全盲の友人Nさんがいます。友人と呼んでいいのかと思うくらいNさんのプライベートなことは知りませんでしたが、明るくて親しみ易い人柄が友人と思わせてくれるのかも知れません。
そのNさんとは15年以上の付き合いになります。主に私たちのNPOのイベントに参加していただいた時や地元のイベントで偶然に出会うことも多く、長くお会いしないということなくコンスタントにお会いするそんな友人です。
ある日のラジオで「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」という本の紹介がありました。
えっ?どういうこと?
それ以上に思考は進みませんでした。本を読んでみて是非体験したいと思い、早速Nさんにメールを送りました。(音声読み上げ機能を使うことは以前に聞いていました。)
すると「楽しみです!」とすぐに返信がありました。
この日は、これまでにNさんに聞いてはこなかったことをいくつか聞くことから始まりました。そして、幼稚園の時に高熱が原因で視力を失ったこと、それ以前の記憶はないこと、色の概念はないことなどを初めて知りました。
ギャラリーに着くと、早速私のへたくそな説明が始まりました。個展に丁度良い大きさのギャラリーで、しかも作者は在廊という大胆な設定でした。数点説明をしていくうち私の中で、自分の心と口が繋がりました。
絵を説明していると、こちらがどんどん絵に吸い込まれていくのが分かりました。絵の方からこういう気持ちで描いたからそれを伝えたい、汲み取って欲しいと訴えてくるのが、はっきりと分かりました。それはまるで絵に意思があるかのように思えました。作者の思いが絵を介して伝わって来ているという極々自然なことが起こっていただけなのですが、とても新鮮な体験でした。
本来芸術作品というのはそういうものであって、鑑賞する側のいい加減さで作者の思いを台無しにしていることが多かったんだろうと今までの自分を反省しました。
【気が付いた大切なことについて】
それは、常識やこれまでの経験を疑ってみるということ。でした。
出来ること/出来ないこと、常識/非常識、正しい/間違い、見える/見えない、聴こえる/聴こえない、そうやって線引きをすることこそが問題だと気が付きました。
そして、一度線引きをしたら線を引き直すことをしないということ、とにかく線引きをしたがるということ、線を引いて限界を決めてしまうということ、線を引いて右と左に分けてしまうということ。
見えるということも線引きをすると、その反対は見えないことだとこれまでは考えていました。でも違ったのです。見えるの反対も見える、人それぞれ違うものが見えているのだと。
目の見えないNさんと絵画を見に行く。の最初の疑問『見えないのに絵画を見に行くってどういうこと?楽しめるのかなあ?』の答えは、別れ際のNさんが微笑んで言った「今日は楽しかったです。また行きましょう。」というシンプルな言葉に凝縮されていました。
Nさんにとっても私たちにとっても楽しい時間であったことは間違いありません。今度は仏像を見に行く予定です。